昭和五十六年九月三十日 朝の御理解


御理解第七節
「天地金乃神は昔からある神ぞ。途中からできた神でなし。天地ははやることなし。はやることなければ終わりもなし。天地日月の心になること肝要なり。信心はせんでもおかげはやってある。」


 昨日は、あのように教祖生誕祭が行なわれました。私は後の敬親会の方達に対する御直会が演芸などの、あれもやっぱり教祖生誕祭の中には入るもんだと思わせて頂きます。
 まあ有難いと思います事は、やはりあの年々歳々充実してまいりますだけではなくて、お年寄りの方達の信心内容もやはり若い時から椛目合楽を通して信心の稽古をしておられる方達が、まあ七十になられた方達、七十以上の方達のまあ、ああしたおかげになってまいりましたのですから。
 昨日の浪花節さんが言っておりましたように、兎に角皆さんが熱心に行儀よく聞いて下さってから、兎に角、あのう普通は、あんな涙がこぼれるような事はなかったけれども、浪花節を語りながら涙がこぼれましたという話をしてましたですね。後から食事を差し上げた時に、そんな話をしてます。あれが普通の年寄りじゃったら、こう乱れたり行儀が悪くなったり、いろいろするのでしょうけれども、まあ言う事でしたが。私はまだ年はとりませんけれども、私もあの時の福引ですかね、くじ引きを頂きました。開いてみたら、「徳つみて栄える家や菊の花」というのでした。どういうような景品だろうかと思うておったら、みかんの缶詰を二つ頂きました。
 ね、今日の御理解を頂きますと、天地日月の心になる事肝要だと。いうならば合楽理念に基づいての生き方というものが、私は天地日月の心になる事だと思うんですけれども、おかげを受けるという事はね、一生懸命お参りをしたり一生懸命御用をしたりしたといったような事でやっぱおかげを受けますよね。
 けれども、どこまでもやはり自分の心の中が、それこそ缶詰というのは、お徳というふうに言われますですね。いつまで置いても悪くならないというわけなんです。みかんというのは、いわゆる合楽で、まあ合楽のシンボルのように言われる。みかんを二つにこう切りますと、中から菊の花の模様のようになるでしょう、ね。だからみかんのお知らせは菊、喜びの花として合楽では有難い、まあお知らせを頂いたら、有難いお知らせとして頂きます。缶詰はお徳。みかんはその内容であるところの喜びの心という事なんです。
 菊の花。ね、徳つみて栄える家や菊の花。だからその菊の花である自分の心の中の、その喜びがいよいよ言うなら育っていく。信心すれば一年一年有難うなってくる。ね、信心をすれば、いわば年をとる、よる程位がつくものじゃとも教えられております。
 昨日の敬親会、北野の中村さんがもう八十いくつでしょうか。皆さん、浪花節を聞いておられた方は皆そうじゃけれども、半ばに、後の方から前の方へ出て行ったお婆さんが中村喜久代さんです。自分のごと目のうすしてから、耳の遠かもんば、こげん所にすえちからちゅうごたる何か腹の立ってこたえんごたるふうで前に行かれました。
 だから私は、すぐ誰か早う座布団ば持って行ってやんなさいち申しましたけれども、まあしばらく居って、又すぐ、ちった気兼ねされたんでしょう。後の方へ下がられましたけれども、本当にやっぱりあれをこう出来るんでしょうからね。あのう順番というか、名前を一人一人書いてあった。中村さんの場合なんか目がうすいし耳もあれだから、本当にやっぱ一寸心を使うて一番前の方にしてやればよかったなあと、私は思った事でございましたけれども。
 中村さんが、いわゆる椛目時代、若かった時にゃ、もう一生懸命でした。当時は北野から歩いてでした。ね、それこそ一生懸命で、もう、まあいろんな問題がありましたけれども。「大城大橋焼けよとままよ、椛目通いは船でする」というようなね、勢いで参ってみえました。夜も昼もないようにして参られました。
 当時、私が中村さんと出会ってからの時分は、この風呂敷包みに下駄を、いわゆる包んでそれを売って廻っておられた。家もなかったし、又娘達は、二人の娘にどうしても養子をとらにゃならん。お父さんというのが、仏、御仏壇なんかを作る方でしたが、大変このお酒が強くて、お酒を飲まれるというので、いろいろ問題がありました。そういう中にあって、主人の事、それから娘達の事、そしてなんとかして、なんとかしてという、その思いで、あのうおかげを頂いて家を求められる事がでけ、そして裏に神様のお部屋までも作られる位におかげを受けられました。
 当時はいうなら、当時の椛目の合楽、当時の椛目の婦人総代としておかげを頂かれました。毎月、あの時分御本部へ月参りを致しておられました。もう親先生がおい出られる時にゃ、どこにでもまあついて行くという意気込みでしたから、毎月どんな事であっても、もうあのう御主人が、医者が難しいという、ところが丁度、当時の椛目の御本部参拝の日がいよいよ難しいという時でした。そこんところを神様にお願いをして、それこそ一回でも親先生のお供をするという事を欠かしては神様にたいして相すまんね。それで、どうぞ主人の命の事は神様お任せします、お願いしますという事。ね、そうして御本部参拝をされました。帰られたら、かえってこう元気な様子になられた。それから、又しばらくおかげを頂かれました。
 ね、確かにああいう一心を立てて、一生懸命に参って、一生懸命の御用が出来れば、おかげを受ける事だけは、こりゃまあ中村さんに限らない事ですけれども受けられる事が分かりますですね。二人の娘が本当に、言うならば中村さんとしては勿体ないような養子を迎えたり、嫁にやったり致しました。ね、小さい店ではありましたけれども、履物の店を張られる事がでけて、ついこの頃まで、その店をしておられました。
 念願を立てて、何年間でしたでしょうか、あの時分の、約三十年前ですからね。その時分に毎日五百円のお日届をされました。そのへん時分の五百円のお日届けち言うなら大金でした。ようそりばってん下駄どん売って歩いてから、これだけの事がでけるたいと思う位でした。そして、それが何年間続いた。言うなら満願の時丁度御本部参拝でした。奥城に皆でお礼に出らせて頂いた時に、中村さんの事を一番に頂いたんです。
 ね、いうなら満願、願が叶うた。これからは名前を喜久代とせよと頂いた。大体片仮名でキクヨというのが中村喜久代さんの名前です。それを喜び久しい代と言う事。いうならば神格ですよね、これは。ね、そしてこれからはね、言うならば、あの喜びに喜んで、今日の私が頂いた御教ではないけれども、徳つみて栄える家や菊の花でいかなきゃならんのです。言うなら合楽理念に基づいていきゃ腹も立たなきゃ不平もない不足もおこらんのですけれども、どっこい教えが身に入ってなっかたというふうに思うですね、中村さんの場合。一生懸命信心された。一生懸命拝みもされた。御用もでけた。婦人総代としてのおかげも頂かれた。時に神様から頂いておった、やっぱ神様は見通しておられたと思うです。
 喜久代という喜の字を取ったら後はくよくよと頂いた御理解にね。喜久代の喜びを取ったら久代久代(くよくよ)。何とはなしに、いつもくよくよしておられる。ここに参って来ても、もう悔やみのお届けばっかりなのです、この人は。
 そして、こん位のこつのお願いならば親先生もう若か時ならすぐおかげ頂きよったばってんち。言うなら一修業して参りゃ確かにおかげ頂きよったわけです。もう年をとったけんで毎日日参もでけんし、修行もでけんし、おかげ頂ききらん。
 兎に角教えというものは自分の心で頂くもん。心の中に喜びがいよいよ育っていく為の教えである。喜びの、喜久代の喜が取れたから、いつもくよくよしとらんならん。あんたばっかりは、ほんなくよくよさんになったのち私がいつも恐るように申しますけれど、それでもやっぱおかげ受けてます。受けてますけれどもですね、年をとるに従って、言うならくよくよ婆さんになったんでは。私はこれは後に残るというね、徳つみてという事は、もうどこまでも喜びが育っていくという事なんです。
 ね、そこでなら今日の御理解じゃないけれど、天地日月の心になる事肝要と仰せられるようにです、本当に、例えば中村さんが、はあここを合楽理念を以てすりゃこういかんならんばいと、例えばその子供達でん孫達でも教えられるだけの、その信心を頂いとかな。兎に角教えが身に付いて、言うなら教えが血に肉になっとかなければ、私は本当に悲しい事だと思いますね。
 信心頂いとって、結局お徳を頂くというところに焦点が置かれる。いいですか。それはどういう事かと言うと、信心を頂くという事に焦点が置かれる。おかげを頂く為には、こげん時にはこげな修行すりゃおかげ頂くち知っちゃるです。こん位の事のお願いなら、こんなはまって修行すんなら、すぐ頂きよったと言われる。
 確かにおかげは頂くです。ね、段々年をとってまいりますと若い時のような修行はでけません。そすとなら若い時にゃ、こん位なおかげはすぐ頂きよったばってん頂けんごつなったというては、くよくよせんならんのであります。
 ね、自分の心をこう二つに割ってみると、いつでも菊の花が出て来るような、蜜柑の言うならば心の状態を頂きたい。それが私はね、お徳を、私は、まあお徳を受けるのだというようなふうには言わんでも、兎に角信心を頂くという事。それで、ここは合楽理念を以てするならばと、何かもういつも腹ん立っとるといったようなものがなくなって、それこそいつも有難い有難い、それこそまあ人間も段々年を取って八十にもなったらです、本当に喜べる、深いもう本当おかげ受けてるんですからね。ですから、もう本当にお礼申し上げる事ばっかりだろうと思うけれども、やっぱり何んか知らんけれども、くよくよになってしまうような感じです。
 徳つみて栄える家や菊の花。言うならば、徳が積み上げられていっておるという事は、自分の心の中にいよいよ喜びがね、盛んに喜ぶ心が盛んになってくる事が、私はお徳を積んでいきよる事だと言うていいと思うです。
 自分の心の中に、昨日の敬親会の中で、あの白楽という色紙に私が書いたものが、あのう景品になっとりましたね。私共が本当に段々信心をさして頂いて、それこそ白という色の深さや陶の秋というようなのがありましたね。もう兎に角、白の色ほど深い色はないです。私共の信心がいよいよ深く広くね、どこを切っても菊の花しか生まれてこないという心の状態。ね、深あい喜びに浸っておれれるような、言うならば年を拾うていきたい。そういう年を取っていく生き方を身に付けたい。
 合楽に参りゃおかげを頂く。成程そこから始まってくるんですけれども、ね、その次からはです、いうなら合楽に行って信心を頂く事。本当に不平不足を言わんですむような生活がでけるという事が有難いのだ、楽しいのだという事になってこないと、言うなら徳つみて栄える家や菊の花という事にゃなってこないと思うんですよね。どうぞ。